うっすらとした死にたさがある。それは浮かんでは消えたりする。なにかに夢中になれば忘れるが、夜の静けさに、ふたたび盛り上がってくる。忘れていたとしても、死にたさから逃れることはできない。 明確な意思を持って死にたいというのではなくて、脳が勘違いしたかのように、死んでしまえと思う。なにかと理由をつけて、いや、理由すらなく、死んでしまえと思う。そのたびに心臓がズキズキと痛み、枕で抑えないといけなくなる。うつ伏せになって抑え込んで、ゲームをやっていたら、ようやく落ち着いてくる。ひどい時はゲームすらできず、ただ横になる。
走っているとマシになる。この方法が自分に合っていて本当に良かったと思う。地面を踏みしめるたびに、自分の身体の確かさを感じる。なんとなしの死にたさは、そうして誤魔化される。 このままではずっと、このうっすらとした死にたさと仲良くするしかないようだ。なぜ死んでしまいたいと思うのか、そこに理由はない。だから異常なのかもしれない。けど、正直いうと、死にたくない人なんているのかなとすら思ってしまう。死にたさはいつも隣にいる。そして、死ですらすぐのところにいる。 発展とか向上とかと無縁のところにいるから、毎日をぐるぐるとするだけで終わり。鳥はそれ以上もそれ以下も求めない。野生を生き抜くのみ。私の生存はどこに?空を飛べなくとも鳥になれるはずだ。うっすらとした死にたさも、鳥になった途端さようならだ。
自分がどうしてここにいるのか、どうしてここにきてしまったのか、よくわからない。私はどうしてこうなってしまったのだろうか?その問いを、今こうして問うことができる、すなわち、 それはアルコールがなければ不可能なことだったのだ。アルコールが入って初めて、それを問うことができる。それは、いままでアルコールがない素面の世界を生き続けた私にとって、そもそもを問うことを避け、目の前のことに集中していた私にとって、難しいことだったのだ。どちらがまともか、問うだけで不思議な気持ちになるが、アルコールが入ることでようやくわかることがある。ちなみに、昨日ホテルで、たらふく酒を飲んで食べようとしたが、無理だった。ビールは1杯で気持ち悪くなった。でもいまここにいる私は、どうしたことか立派にビール飲みになっている。短時間で四杯も飲んでる私は、今までのことを溜め込んでいたかのように、暴力的に酒飲みになっている。なぜだろう?ジョッキだから?店だから?よくわからない…わからないが、この感覚は久しぶりだ…浮 遊感… 私はこうしてこうして酒でごまかして、生きてきたのだからしょうがない、つまり、いつもどおり、ということなのだよ…暴 走する欲望、それはアルコールへの救い。浮遊感をくれということだ。そうすると、普段は考えられないことを考えられるようになる気がするのだ。世界に紛れて酒を食らうことで、私はその世界を確に見ることができる、気がしている。>
私はどうしてこうなった?働いていればより酒が美味しいのか?それはわからない…わからないが、この感覚は久しぶりで、こうしていなきゃ嫌なことはできないなと思う。ひとに憎悪を向けられた記憶… 人に失望された気がする記憶… 人とうまくいかない記憶… ひ と り で 生 きれたらいいのに、まるっきり自由に。でもそんなこと無理だ、絶対に無理だ。
私は、どうしてこうなったんだっけ?アルコールの歪みがここにきてはじめて、私の心を解き明かそうとする。どうしてこうなった?ごまかしながら耐えながら仕事を続けることはできた。私は耐えながら、いつかの日を信じて、自転車漕ぎのぎりぎりのところを行っていた。それが限界だった?いや、限界とは思えない、まだまだいけたとすら思う。でもそれは、自分の勝手な基準に過ぎないかもしれない。つまり…もうすでに破綻していた、ということだ。その破綻した中を無理矢理に漕ぎ続けていた、ということだ。私は本当に、自転車漕ぎの気持ちだっ た。自転車漕ぎの、それもぎりぎり細いところを頑張っていくような緊張感があったのだ。 漕ぐことはまだまだできるぞ、と思っていた。まわりの人間はそれをおかしいと言ったとしても、私自身はまだできると思っていた。そう、その矛盾が、私の心を変に苦しめていたわけだ。私はもっと漕げば、見えてくるものがあったと信じていた。それは、自分ができるという自覚だったり、自分が、これで合ってるぞという自信だったり、経験だったり。こうして酔ってる時にはそれを信じられるが、素面のときには到底無理で、どこまでも続く無限漕ぎを信じられなくなり、私は撤退した。
それが自分の意思ではなく、なぜか不本意である、ということが、私の心を苦しめている気がする。不本意というか、私自身の決意ではない、ということだ。周りにおかしいと言われたから、ということが、この決断を支えていた。もちろん自分でも、これ以上はつらいなという感覚はあった。だけど、それでもやってみるぞという覚悟も、同時にあったような気がする。
あのときのことはわからない、もう過ぎ去ったことなのだから、何も言えない。私はいまこうして休職し、抗うつ剤を飲んで、酒を飲んでいる私にとっては、すべてがまぼろしにすら思えてしまう。あれは本当だったのか?本当の自分はどこにいるのか?アルコールの心地よさが畳みかけるように私の体に襲いかかり、目の前のすべてを忘れさせてしまう。どうしてこうなったのだろう…という疑問を残して。
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