2025年の1月末で、パートナーとの同棲を解消した。1年だった。そのうちの約半分は実家に避難していたから、いっしょに暮らしたという感じがない。
偶然かりた歌集に、こんなものがあった。
恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず (萩原裕幸)
まさに、ぽぽぽぽぽぽという感じだった。冷静に振り返ることができない今は、1年間のことを表す言葉として、「ぽぽぽぽぽぽ」があまりにも的確に感じている。
この言葉に逃げ、しっくりきた自分を認めて、同棲生活に区切りをつかせたいような気もしている。それは大変ずるいことだ、しかも他者の言葉を借りている。歌人に対しても失礼なことだ。
でも私は「ぽぽぽぽぽぽ」に救われている。ほっとしている。失敗だったという後悔や、なんで?という怒りといった負の感情や、週末の美しさ、夜の静けさといった明るい思い出などに、私はさまざま足を取られ、何らかの言葉を記録しなければと焦っていたからだ。それをこの歌人は「ぽぽぽぽぽぽ」と表現する。もうこれ以上のものはない、私がどんな場面を切り取っても、この表現を超えるものはない。
彼と過ごした中のよろこびもかなしみも、すべてが「ぽぽぽぽぽぽ」としか、言いようがない。
戻る